以下の文章は、昭和63年7月刊行された『風呂敷画商一代記』のあとがきの一節である。
油井一二という人物がどのような想いで、信念で事業に取り組んできたかが端的に示されている。
昭和40年、山田さんから『美術年鑑』の譲渡をうけた時に、私は満55歳になっていた。この年を最後に、以後、風呂敷画商として地方を回ることはやめてしまった。身体が衰えて耐えられなくなったというのではない。また、仕事が行き詰まったというわけでもない。むしろ売ろうと思えばいくらでも売ることはできた。長年のおつき合いで画家の先生たちの信用を得ていたし、絵を持って行けばたいがいは買ってくれるお得意もあった。まったく新しいお客でも、これなら買ってくれそうだという見当はつくし、買ってもらえるように仕向ける呼吸も知っている。そのうえ、世の中は経済の高度成長期であり、家の新築や増改築がさかんに行われていた。ただやみくもに働くというのではなく、心の余裕を求めるようになってきた。人々の目が芸術にも向けられるようになった時代だった。
だが、私にはやりたいことがいくつかあった。美術年鑑と、他に美術界の動向を速報する出版物、たとえば美術新聞の発行である。それから、長い間画商をやっていたおかげで、手放すには惜しいコレクションもあり、これを収蔵する美術館がほしかった。
これらのことは風呂敷画商と併行してできるという事業ではない。けれども私は、風呂敷画商とこれらの事業がまったく異質なものだとは思っていない。美術の愛好者を拡げることによって美の創造のお手伝いをする、という一本の線で、私の心中はつながっている。 この道より 我を生かす道なし
この道を歩く 武者小路実篤先生の上の詩のとおり、私にはこの道しかなかった。私は45歳を過ぎて武者小路先生の足下に天佑により辿りつくことができたことを、実に幸運であったと思っている。
若い頃の私は生意気で、運は自分から獲得するもの、不運は自分の蒔いた種ぐらいに思っていた。歳を取るにしたがって運のありがたさを痛切に感じるようになった。武者小路先生とのお近づきを得る以前の私は、いわば心眼が開けていなかったのだと思う。先生の無限のご慈愛によって片眼の開眼ができた。後の片眼は今後20年かけて、百歳までになんとか開眼し、先生のご恩に報いたいと思っている。 苦しみは 汝を生かす道と知れ
| 油井一二(ゆいいちじ)略歴 |
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| 明治42年 | 長野県佐久市香坂に生まれる。生家は自作農。 |
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| 大正13年 | 三井尋常小学校高等科を卒業、農業に従事。 |
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| 昭和 3 年 | 上京、電気工事会社に勤め、電気学校夜間部に通う。 | ||
| 昭和 4 年 | 徴兵検査のため帰郷、翌5年入隊、6年帰休除隊。(12年、20年にも召集を受ける) |
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| 昭和 6 年 |
再び上京。東亜美術協会に絵画出張販売員として入社。美術業歴の第一歩に。のち東洋美術協会に移る。 |
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| 昭和 9 年 |
日東美術協会を創設、独立する。以後、風呂敷画商として日本各地はもとより中国、朝鮮、台湾にも足を伸ばし文字通り東奔西走で事業を伸ばす。 |
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| 昭和16年 | 念願の美術店を上野広小路電停前に開業。 |
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| 昭和20年 | 東京大空襲のため店舗を焼失、郷里香坂に疎開。 | ||
| 昭和22年 | 風呂敷画商を再開、一時鉄の販売会社を経営。 |
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| 昭和27年 |
絵画販売会社香菊社を設立。このころから武者小路実篤の作品を扱うようになり、三鷹の武者小路邸に足繁く通ううち、実篤を人生の師として敬慕する。昭和30年代に入ると、業績は好調を極め、かたわら美術品(日本近代美術)の蒐集に力を入れる。 |
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| 昭和40年 |
『美術年鑑』(美術年鑑社)の創業者山田正道から権利を買い取り、『美術年鑑』の発行人となり、美術出版人としての歩みを始める。 |
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| 昭和41年 |
美術年鑑社を株式会社に組織変更、代表取締役社長に就任。以後、天性の企画力と実行力によりカラー口絵の導入、大判化など内容充実をはかり『美術年鑑』をトップ・ブランドに育て上げる。 |
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| 昭和46年 |
本社を東京都千代田区神田錦町(現在地)に移転。カラー版美術情報紙『新美術新聞』を創刊。美術年鑑と新美術新聞を柱に、日本の巨匠シリーズ『横山大観』『川合玉堂』をはじめ多くの美術書の出版を手がけ、日本を代表する美術専門出版社の一つとしての基盤を築く。 |
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| 昭和50年 |
佐久市新庁舎竣工を記念し、蒐集品25点を佐久市に寄贈。さらに寄贈作品は400点に達し、これを契機に佐久市に油井一二コレクションを収蔵する美術館建設の機運が熟していく。 |
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| 昭和53年 | 美術年鑑社関西営業所を大阪市西区に開設。 |
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| 昭和58年 | 佐久市立近代美術館開館(寄贈作品は780点に)。 |
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| 平成 元年 | 佐久市名誉市民章を受章。 |
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| 平成 2 年 |
佐久市立近代美術館が新装開館し、カルチャー館・油井一二記念館が併設される。 取締役会長に就任(長男一人が代表取締役社長に就任) |
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| 平成 4 年 | 7月21日、肝不全のため死去。享年82。 | 平山郁夫画「油井一二氏像」 昭和58年・佐久市立近代美術館蔵 |
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| 著書 風呂敷画商一代記 続・風呂敷画商一代記 片眼の達磨 感謝 油井一二詩文集 |
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